(*'▽')ノ こんにちは!
なんかすっごい寒いんですけど、
毎年こんなにあたたかくなったり寒くなったりしましたでしょうか?
桜も咲いて、いよいよ春本番って感じだったけど、まだ春にはちょっと遠いのでしょうか。
先週末のプチお花見&お参り旅行のつづきです。
前回は
香取神宮で「満開の桜をみた&鹿さんへあいさつ」をしました。
その後、鹿島神宮へ
向かったのですが、香取神宮で桜を満喫してしまったせいで時間がなく、桜が咲いている場所へ行けませんでした。
(前回の鹿島神宮お参りの記事はこちら ↓ )
ただし、本殿でお参りの後に鹿さんにはしっかりご挨拶。
この後、奥宮・要石をお参りしました。
息栖神社へ
東国三社の最後の一つ「息栖神社」へ。
境内では
息栖神社にも桜が咲いていました。
お参りしようと本殿前の桜の下を通ろうとしたら神風(ただの強風)が吹いて桜吹雪が!
お参りに来ると、いたりいなかったりする社務所の神職さん?もこの日はいてくださいました。
おかげでお札をいただけました。
息栖神社の神様は船の神さま
鹿島神宮、香取神宮、息栖(いきす)神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、現在でも東国三社参り(三社を詣でる事)が行われています。
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
息栖神社の御神体は井戸
東国三社のうち他の二社に比べてより静かで趣がある神社が息栖神社です。鹿島と香取に祭られる二神が武神でありその神剣であるのに対して、息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」というひかえめな存在の神が祭られているせいかもしれません。 鹿島と香取の両神宮が、派手で大掛かりな作りなのに対して、息栖神社は「土地の守り神」として親しみがもてる雰囲気を感じます。また井戸がご神体とされているという点からも、より身近に感じることができるでしょう。
その御神体の井戸を見ることができます。
(息栖神社看板より)
日本三霊泉のひとつ「忍潮井」
利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に、小さな鳥居が立てられています。その鳥居の下からは、泉が湧きだしています。
この井戸は、汽水の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられています。
左右の泉は、それぞれに女瓶、男瓶と呼ばれる瓶が据えられていて、その中から湧き出しています。
まずは向かって右側の忍潮井(男瓶)です。
鳥居の背が女瓶側と比べて大きいんですね。
次に向かって左側の忍潮井(女瓶)です。
男瓶は銚子の形をしていて、女瓶は土器の形をしてます。その瓶は、水の澄んだ日にしか姿を現さず、その姿が見られると幸運が舞い込んでくるといわれています。
(ここまで引用神栖市HP「息栖神社」より)
この井戸の水が少ないときがあり、それぞれの瓶を見ることができると幸運が舞い込むということのようです。
今回は水がなみなみとありました・・・
立て看板
忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸であり神功皇后の3年(194)に造られたものと云われ、辺り一面海水に覆われていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させて住民の生活の水としたもので、海水を押しのけて清水が湧出しているところから、忍潮井の名がつけられたと伝えられている。水と人類とのかかわりの中で最も古い形の井戸であり日本霊泉の一つと云われております。
「形状」-男瓶は経2m弱、白御影石で銚子の形をしている。女瓶はやや小ぶりで土器の形をしている。
「三霊泉」-常陸の忍潮井、伊勢の明星井、伏見の直井
「伝説」-その昔(平城天皇の御宇大同2年4月(809)数キロ下流の日川地区より息栖神社が此の地に移された際取り残されてしまった男女二つの瓶は神のあとを慕って三日三晩哭きつづけた、とうとう自力で川を遡り一の鳥居の下にヒタリ据え付いたと云う。この地に定着して後も時々日川を恋しがり、二つの瓶は泣いたと云われている。日川地区には瓶の泣き声をそのままの「ボウボウ川」と瓶との別れを惜しんで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されている。
(立て看板より)
今回は全く「瓶」の形は見えませんでしたが、そのうちまたお参りに来た際に見て見たいと思います。
春の桜も満喫できて、良い週末になりました。
明日もいいことあるといいな。
では。