(*'▽')ノ こんにちは!
〈前回までのあらすじ〉
朝早く黄泉比良坂へ行った後に揖夜神社へ行ったものの朝早すぎて、次の六所神社へ向かったところ通過。
しかし、神様に呼ばれ無事にお参りしました。
その後に向かったのが日本最古の大社造りの本殿をもつ
「神魂(かもす)神社」
揖夜神社もそうだったのですが、他の地方にある大きな神社よりも広かったり社殿に歴史を感じたり、何より雰囲気ががガラッと変わる神社が多い気がします。
いわゆる「神域」のような感じでしょうか。
はじめて訪れているということもあるのかもしれませんが、緊張しているわけでもないのに何かこうよそよそしくなるというか、凛とした空気感というか。
この神魂神社もそんな空気感の神社でした。
鳥居から先は石を敷き詰めた階段となっており、社殿はさらに急な階段の上に広がる広い場所にありました。
(お参りするところは階段の目の前です!)
御祭神
主祭神=伊弉冉命(いざなみのみこと)
黄泉津大神(黄泉国の主宰神)、道敷大神とも呼ばれる。
天照大神(日本の総氏神様)・須佐之男命(熊野大社・須佐神社)の母。
天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
火の神軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。
死 後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追 いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギ が大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
配神=伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)の兄であり夫。
アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされる。ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典より
歴史
意宇六社の一社。本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝。
社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている。
当社は出雲国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として25代まで当社に奉仕したという。
本殿など
実は六所神社のあと伺った時間では、やはり早すぎたようで扉も閉められていました。
人もいなかったのと、やはり霧が立ち込めていたので神聖な感じが増していました。
日本最古の大社造りの社殿です。
(゚Д゚)ノ 国宝!
洞窟は神様に関係するのかと思いきや、調べてみるとただの穴のようです。
その右に見える小さな鳥居の様なものに神様が降りられたところだとか。
天穂日命がこの地に天降った釜
天穂日命(あめのほひのみこと)
天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。
この釜に乗って降臨されたのですね。
アクセス
駐車場がありました(10台くらい)。
他の神社に比べると、比較的わかりやすかったと思います。
(カーナビも迷わなかったです)
神(かみ)の魂(たましい)と書く神魂神社。
出雲にお越しの際はぜひお参りください。
日本最古の大社造りで国宝の社殿。
空気を感じてください。
明日もいいことあるといいな。
では。