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米子で小さな神様をお参り!「粟嶋神社」(開運!出雲の神社参拝の旅24)

(*'▽')ノ こんにちは!

 

いよいよ20近い神社をお参りした旅の最後の神社です。

これまでは島根県の神社がほとんどでしたが、

米子鬼太郎空港から飛行機で帰るので最後は米子です。

 

「粟嶋神社」

 

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まずはこのながーい階段がすごいです。

結構ヘトヘト。

 

階段を上ると門がありました。

 

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歴史

度々の火災で記録を失っており、創建年は不明。
境内は標高36メートルの山(明神山)になっているが、かつては中海の小島のひとつだった。島(山)全体が神山とされ古い時代には社殿は山麓にあったとされている。

江戸期になると、元禄期(1688年~1704年)に社殿が焼失し、翌年再建されるにあたり、それまでの山麓から山頂へ移された。その後、宝暦期(1751年~1763年)に粟島周辺が干拓され、「彦名干拓地」一帯と地続きになった。
なお、江戸期には「粟島大明神」として祀られており、明治維新の際に、境内の諸社を合祀して粟島神社に改名した。

ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典より

 

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733年(天平5年)の『伯耆国風土記』では、小人の少彦名命(すくなびこな)がこの地で粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡り、そのために粟島と呼ばれている、と書かれている。(つまり、粟島は少彦名命の現世での最後の地、ということになる。)

『日本書紀』でも同じような逸話があり、スクナビコナが淡島(粟島)で粟茎に弾かれて常世へ渡ったとされている。

民話では、こびとであるスクナビコナが天界から下界の海へ落ちてしまい、空豆の皮で船を作って伯耆の島(のちの粟島)に漂着する。そこで出雲の神であるオオクニヌシ(大国主)と知己になる。スクナビコナが排便すると、天界にいた頃に食べた粟の実の種が出てきたので、これを島に植えたところ数年で島は粟が一面に広がった。すると、アワ畑に据えられた案山子のお告げで天界に戻るように命を受け、粟の茎を曲げて穂につかまり、茎がまっすぐに戻る力で天界へ飛んでいった。このことから、オオクニヌシはこの島を「粟島」と名づける。

 

 

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御祭神

少彦名命(すくなびこなのみこと)

『古事記』によれば、スクナビコナは大国主の国土造成に際し、天乃羅摩船に乗って波間より来訪し国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述がある。
スクナビコナはオホナムチ(大国主命=出雲大社の神様)同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。

国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。 酒造に関しては、酒は古来薬の一つとされ、スクナビコナが酒造りの技術を広めたことと、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えたときの歌に「少名御神」の名で登場することから、酒造の神であるといえる。

 ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典より

 

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アクセス

 

 おわり

 とても苔が多く、緑色のきれいな感じが印象的でした。

何より階段が長くて長くて。

日頃の運動不足を戒められた感じでした。

 

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八尾比丘尼伝説の地もこの辺にあるようですので、島根~米子へ行かれた際にはぜひお参りください。

www.yonago-navi.jp

引退した狛犬でしょうか。

狛犬から昇格して神様に昇格したみたいでよかったですねー。

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明日もいいことあるといいな。
では。

 

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