(*'▽')ノ こんにちは!
出雲開運の旅の旅行記、第9弾です!
日本一のパワースポットとの呼び声も高い「須佐神社」です!
主祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟にして、有名な天岩戸の原因を作った神様。
天岩戸
高天原(たかまがはら=天界)で乱暴狼藉を働いたことで、姉の天照大神が天岩戸(あまのいわと=洞窟に大きな岩でフタをした)に隠れてしまう。
天照大神(=太陽神)が岩の奥底へ隠れてしまったことで高天原のみならず葦原中国(あしはらなかつくに=地上界)までもが暗闇に閉ざされてしまった。
その後出雲地方へ降り立ち、その地を荒らしまくっていた怪物ヤマタノオロチの生贄にされそうであった稲田比売命(いなたひめのみこと=櫛名田比売(くしなだひめ))を櫛に代え自分の髪に刺しヤマタノオロチと戦い、これを退治する。
この時にヤマタノオロチの尾から出てきた剣が草薙剣(=後の古代天皇家における三種の神器の一つとなる)。これを天照大神に献上した。
この須佐之男命の娘が大国主命と結ばれる須世理比売(すせりひめ)です。
稲田比売命(いなたひめのみこと)
ヤマタノオロチに生贄にされるところを須佐之男命に救われ、後に妻となります。
足摩槌命(あしなづちのみこと)の娘です。
足摩槌命(あしなづちのみこと)・手摩槌命(てなづちのみこと)
稲田比売命(いなたひめのみこと)の親である。
それぞれ足長神社・手長神社の主祭神(いずれも長野県)として祀られている。
御由緒
須佐之男命が最後の時を迎えた土地。
ヤマタノオロチを退治した後に宮殿を立てた場所に作ったのが最初。
神職をされている須佐家の祖先は手摩槌命(てなづちのみこと)。
出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。
ご利益
農耕、殖産、興業、延壽(長生き・長寿=健康)にご利益があるそうです。
お参り
拝殿
こちらが拝殿です。
質素な感じなのですが、なんか威圧感?のような何か他とは違う感じがしました。
私は霊感とかありませんので、雰囲気とかでしか表現できませんが、凛としたとかピンと張り詰めたという感じではなく、何かこう「本当は恐れ多いんだけど、私が無知だからゆるしてやってる」的な感覚です。
借りてきた猫になっちゃう感じが一番しっくりいく表現かもしれません。
本殿
典型的な大社造りの建物とのこと。
曇っていたので太陽は出ていなかったのですが、長浜神社の鳥居の時と同様にこの写真にも光が映り込んでいますねー。
偶然の光のいたずらかもしれませんが、神秘的ですね。(*´▽`*)
にしても、なんか存在感のある建物です。
古い感じなのに・・・
大杉さん
ご神木なのでしょう。
とても大きな杉の木が裏手にありました。
この木の周りは別世界のようでした。
すぐ裏手なのに・・・。
周囲約7m、高さ約30m、樹齢約1300年。
亭々として天を摩する老杉あり。
周囲二十余尺(七米余)樹高百尺(三十米余)木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず。
須佐神社はもと宮内部落の東南にある宮尾山山麓にありしを、五十三代淳和天皇の天長年間(西暦824~833)に、現社地に遷されたと伝うから、樹齢は約千三百年を算えることになろう。
ちょっと長くなってしまったので、須佐神社は2回に分けてご紹介しようと思います。
なかなか印象深かった須佐神社。
須佐神社境内内には「七不思議」とかいうのもありました。ので、ちょっとおまちください。 (゚Д゚)ノ
上記内容はウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典より引用・参考
明日もいいことあるといいな。
では。
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