(*'▽')ノ こんにちは!
年齢を重ね、「悔いを残さないで生きる」とはとても難しいことだと実感することが多くなりました。
昨日の記事の ↓
まさかまさかの壁の中からネコの鳴き声がしたからといって、壁を破壊してまで確認するでしょうか?
もし、そのままにしてしまっていたら・・・
何十年後かに電気工事やリフォームの際に壁の中で動物の骨が見つかった時、後悔の念に押しつぶされると思うのです。
「そこに小さな命がいる可能性があったのだから確認すればよかった。あの鳴いていたネコを見殺しにしてしまった。」と。
でも、たぶんほとんどの人がそのままにすると思うのです。
しかし、ここで一歩踏み出したかどうかがとても大きな選択なのだと思います。
「簡単な話だ。ネコが本当にいたら取り返しがつかない」
「壊したって壁なんて直せばいいんだ」
こういう選択の場で「後悔しない選択」をしたいと常々思うようになりました。
たくさんの「選択の場」があると思います。
私もパッと思い出すだけでもいくつかあります。
虫の予感なのか、なんとなく祖母に会いに行きたいと思っていながらも、元気だから大丈夫だろうとずるずるとそのまま会いに行かなかったら、実は内緒で病気を患い、病気だったことすら知らぬ間に亡くなってしまいました。
まだ若いころ、最初の会社を辞めようと思ったのに思いとどまって残ってしまった。
(もちろんそれがあっての今なので思い詰めるほど後悔しているわけではないですが、あの時思い切って飛び立っていたらどうなっていたのかと思う時があります)
他にもいくつかありますが自重します。
そして昨日見たこの話 ↓
脳梗塞や心筋梗塞は(他の病気もですが)早期発見でその後の回復に大きく差が出るものだそうです。
でも、「あれ?おかしいな」と思っても病院行かないですよね。
今日がんばれば。とか、
寝れば治る。とか思ってというか自分に言い聞かせてしまって。
会社や仕事は病気が長引いたり障害が残ってしまった場合、ビックリするほど冷酷です。自分の命や家族の笑顔を引き換えに選ぶべき選択肢では無いのです。(ってわかっているのですけど・・・)
なぜこのような話を書いたかというと、私の職場で同じ年の同僚が急に退職することになりました。
理由:家族を守るため。
もうシンプルです。
その選択をした同僚を本当に応援したい。自分も大切な局面での選択は当たり前にそちら側を選べるようになりたいと思ったからです。
そのためには自分にも力が必要ですし、まだまだ精進が足りません。
と、いうことでがんばりましょー!
明日もいいことあるといいな。
では。