(*'▽')ノ こんにちは!
1年と半年ぶりの更新・・・
前回の記事である伊勢神宮に行ったのも約2年ほど前になってしまいますが、購読を解除しないでいて下さった皆様、検索でお越しいただいた皆様、本当にありがとうございます。
ただ、記事の書き方すら忘れてしまいなかなか更新もままならないかと思いますが、時々届く記事をお読みいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
(*'▽')ノ こんにちは!
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(*'▽')ノ こんにちは!
伊勢志摩サミットがつい先日終わりましたねー。
各国の方々も伊勢神宮(内宮)を訪れたそうです。
その伊勢神宮ですが、外宮をお参りしてから内宮をお参りするのが習わしとなっているそうです。
ので、私も外宮からお参りさせていただきました。
早朝5時から参拝できるということなので、5時に着くように超早起きしました!
(とてもがんばりました)
なので参道を歩いているのが自分一人しかいないという不思議な感じと、夜明けの雰囲気が異世界感を出していました。
本当はとても賑やかな参道で、歴史ある感じの宿もたくさん並んでいました。
当然どこもやってませんでした。
参拝後も予定が詰まっていたので寄り道しませんでしたが、いい感じのお店がたくさんありましたよー。
参道の終わりから伊勢神宮(外宮)を見るとこんな感じでした。
いよいよ神域へ。
神域を火災から守るために川で囲まれています。
その川に掛かる橋です。
参道から来ると一番最初に目にします。
伊勢市駅から続く道をまっすぐ来ると、そのままこの表参道に繋がります。
車で参拝に来ると駐車場からの参道があり、そちらの参道は北御門参道という名前がついています。
私は表参道からお参りしました。
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写真は職場近所の団地の花です。
急に来た暑さにやられ、疲れてしまいました。
最近というかこの1週間夜の9時に寝ています。
ブログも毎日書いていたのに、パソコン開くとすぐに眠くなりガクッとするので、1つの記事を何日かに分けて書きました。
(この記事はすぐ書けると思いますが)
せっかく伊勢志摩サミットに合わせて、伊勢神宮の記事を!と思っていたのにサミットは終わってしまいましたねー。
皆さまも疲労が蓄積しないよう、健康にご留意ください。
それではおやすみなさい。
(*'▽')ノ こんにちは!
実は先月、伊勢神宮へ参拝に行ってきました。
それも金曜日に仕事してその足で新幹線に乗って名古屋へ。
名古屋から特急に乗って伊勢市へ。
(写真ブレブレですみません)
伊勢市駅前のホテルに泊まって土曜から参拝開始!
日曜午後にはUターン。という計画で。
(゚Д゚)ノ かなりの強硬スケジュール!
なんか1か月も前から計画していて、雨が降るとかちょっと残念な気がしてしまいます。
なのでなんとなくもやっと計画していて、新幹線の切符が取れるぎりぎりの期限にパッと決めてしまいました。
(お参りに行ってから降った雨は神様が歓迎してくれていると受け取っていいそうです)
六所神社に呼ばれるような不思議体験(私的には不思議でした)をしてから、気になったり行こうかなとか思ったりしたら(都合がつけば)行こうと思いました。
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社の一社。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。明治時代から戦前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。
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(*'▽')ノ こんにちは!
さっそくですが、
焼肉っておいしいですね。
昨日は久しぶりに焼き肉を食べました。
しかも、上司がおごってくれたので高いお肉でした!
(゚Д゚)ノ 草食動物の成れの果てのはずなのに・・・
「和牛上なんとか」とか
「上なんとか」とか
だいたい普通のお店や居酒屋とかに行ったときは、決まらないのでホイホイいくつか注文してしまうのですが、全く注文できずメニューを見て固まっていたら、一緒にいたもう一人の同僚がホイホイ注文してくれました。
私は風邪をひいたりすると周囲が驚くくらい食べるので、結構大食いなのかと思っていたら世間的にはそうでもないことがわかりました。
お肉を何皿か食べて・・・
なんかはさみで切る大きいお肉と・・・
チヂミに・・・
ホルモンに・・・
クッパ。
サラダも食べました。
(゚Д゚)ノ 焼肉おいしい!
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(*'▽')ノ こんにちは!
帰りは(行きも)米子鬼太郎空港から飛行機で帰ってきました。
その空港へ行く前に「水木しげるロード」を少し見て、おみやげを買って帰りました。
途中、踏切で鬼太郎のラッピング鉄道に遭遇できました。
正面がこなきじじい・・・
ちょっと夜に見たら恐いかも・・・
1泊2日という弾丸ツアーでしたが、出雲でたくさんの神社へお参りすることができました。
霊的な感覚がないので、全くスピリチュアルなことはわかりませんが。
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(*'▽')ノ こんにちは!
いよいよ20近い神社をお参りした旅の最後の神社です。
これまでは島根県の神社がほとんどでしたが、
米子鬼太郎空港から飛行機で帰るので最後は米子です。
「粟嶋神社」
まずはこのながーい階段がすごいです。
結構ヘトヘト。
階段を上ると門がありました。
度々の火災で記録を失っており、創建年は不明。
境内は標高36メートルの山(明神山)になっているが、かつては中海の小島のひとつだった。島(山)全体が神山とされ古い時代には社殿は山麓にあったとされている。江戸期になると、元禄期(1688年~1704年)に社殿が焼失し、翌年再建されるにあたり、それまでの山麓から山頂へ移された。その後、宝暦期(1751年~1763年)に粟島周辺が干拓され、「彦名干拓地」一帯と地続きになった。
なお、江戸期には「粟島大明神」として祀られており、明治維新の際に、境内の諸社を合祀して粟島神社に改名した。
733年(天平5年)の『伯耆国風土記』では、小人の少彦名命(すくなびこな)がこの地で粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡り、そのために粟島と呼ばれている、と書かれている。(つまり、粟島は少彦名命の現世での最後の地、ということになる。)
『日本書紀』でも同じような逸話があり、スクナビコナが淡島(粟島)で粟茎に弾かれて常世へ渡ったとされている。
民話では、こびとであるスクナビコナが天界から下界の海へ落ちてしまい、空豆の皮で船を作って伯耆の島(のちの粟島)に漂着する。そこで出雲の神であるオオクニヌシ(大国主)と知己になる。スクナビコナが排便すると、天界にいた頃に食べた粟の実の種が出てきたので、これを島に植えたところ数年で島は粟が一面に広がった。すると、アワ畑に据えられた案山子のお告げで天界に戻るように命を受け、粟の茎を曲げて穂につかまり、茎がまっすぐに戻る力で天界へ飛んでいった。このことから、オオクニヌシはこの島を「粟島」と名づける。
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(*'▽')ノ こんにちは!
先週は帰宅が遅い日が続いて、とうとう(1日だけですが)初カプセルホテルを体験しました。
狭いと思っていたらそうでもないですねー。
でも、眠りが浅い私は耳栓をしていても3回起きました。
続きを読む
(*'▽')ノ こんにちは!
昨日も遅く・・・
今日も遅く・・・
明日も帰宅が遅くなりそうなので、文字だけの記事です。
こんなニュース?というか記事を読みました。
自分が退職したいがため、代わりとなる新入社員にブラック企業であることを悟られぬよう、並々ならぬ苦労と努力を重ねていたにもかかわらず新入社員が全員辞めてしまったそうです。
(゚Д゚)ノ あなたも早く辞めてください。
でも、なぜか日本では頭では理解していても優先順位が下位になってしまうものがありますね。
あなた自身、その人自身です。
家族がいても居なくても、この世に生を受けた大切な一人。
なぜ「仕事」などという金銭を受け取る手段の一つにより壊されなければならないのか。考えてほしいと思います。
よく気軽に「がんばれ!」って言ってしまいますが、
(゚Д゚)ノ もうがんばってんだよ!
ってことを結構すっぽり忘れてしまいますよね。
社会人としてとか、大人としてとか、そんなことを言ったりする人もいますが、
(゚Д゚)ノ 社会人として大人として「人権」ってなんだか言ってみろ。
人権に勝るものがあるのか。
「人を一人の人と認める、認めてもらう権利」をすでに侵害している。
私自身、20~23歳くらいまではトップダウンの剛腕タイプでした。
でも、自分の親と同世代の人と働く機会があり「さすがに今までの方法では無理だ」と考えたとともに、人生の酸いも甘いも切り抜けてきたこの団塊の世代の人達にもうひと花咲かせてもらいたいと考えるようになり、いかに目先の怒りを封じ込め、わかりやすく物事を伝えることで力を付けてもらう。というところまで考え方がシフトしていきました。
まあ、ただ単に人の上に立つものは「嫌われてなんぼ」とかいう、誰が言ったのか知らない風潮も嫌だったこともありますが。
結果嫌われたのなら仕方ないですけれど、何も好き好んで嫌われる必要ないじゃないですか。
で、話は戻ります。
会社が嫌で退職する人がいるとなんとなく「裏切者」な感じになりますね。
もちろん、「辞めてくれてラッキー」な人がいるのも確かではありますが、逆じゃないかと。裏切ったのは我々であったのではないか。その人が助けてほしかったり、退職に至るまでのそういった様々な理由が重なるまでに、我々が裏切ったというに値するできごとがあったのではないか。
ぜひ、5月を迎え気分が落ちている同僚や新入社員がいたら励ましてください。
「がんばっているね。でもがんばりすぎなくていいんだよ」と。
会社は一人で回っていない。
持ちつ持たれつなんだから。
もうだめだという時は辞めていい。
会社の荷物は一人で抱えるものではない。みんなで抱えるものだ。
もし、そんな人が近くにいたら「やさしい」人になってください。
本当にその人を思っているのなら、その人を傷つけずに我慢してください。
自分の怒りを相手にぶつけるのではなく、飲み込むことで自分のストレスが増すかもしれませんが、怒りを取り除いた一言がその人を導く一言になるかもしれません。
どうしても自分に厳しい人や、厳しく指導された人はどうしても同じことをしてしまいがちです。
人それぞれ「障害物」と感じるものは違うし、「キツイ坂」と感じる角度も長さも違います。
もうちょっとやさしい世の中になるといいなあと思います。
見直しもせずにアップして寝ます・・・
すみません。